歴史するうさぎ

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カテゴリ:歴史書を跳ぶ( 1 )


2005年 03月 19日

Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism

Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism
(New York: Harper Collins Academic, 1930).
マックス・ウェーバー著 梶山力・大塚久雄訳
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上・下)』
(1962年 講談社)

私が別に運営しているブログ上でアップした記事(2005年3月17日)に対してコメントを下さった方と、以下のようなやり取りが交わされた。とても素敵なやり取りだったと信じている。これをこのまま中途半端な形で小さなコメント欄でお返事するのはとても気が引けるし、かと言って、そのページで余り踏み込んだ深い話をしてしまうのも、他に訪ねてくださる方たちのことを思うとどんなものかとも考え込んでしまう。たまたま春休みに思い立って開いたばかりのこのブログの最初の一冊としてウェーバーというのは相応しいように思うし、とてもchallengingだ。歴史学専攻の人ばかりでなく、普通にこの本を手にとられる方たちが興味を持てるような、あるいはわかりづらい部分を補えるようなものが書ければと思う。

もう一つのブログで交わされたのは以下のようなやりとりである。私のポルトガル旅行と、自分が高校時代に大航海時代のヨーロッパから欧米発展史について思っていたところを書いた記事に対するコメントを頂いたところから始まった。

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Commented by b-xxxxball at 2005-03-18 05:22 x
大航海時代、先頭をきっていたポルトガルが現在ヨーロッパで遅れをとってしまったのはなんでだろう?
もっと勉強しとけばよかったなぁ(笑)

Commented by rapxxxe at 2005-03-18 07:58 x
びーはいさま☆空気読んでないまじレスだったらごめんなさいね。その質問の定番の答えはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をまず読む、なんです。マルキシズムのアンチ・テーゼと言われた本です。もしまだで、機会があったら是非。高校くらいで習った勉強って、今見直すと面白いものがたくさんかも知れないですよ^^。もう試験関係ないし(笑)。

Commented by b-xxxxball at 2005-03-19 02:14 x
高校くらいで習いませんよー!少し調べました。
えーと。マルクス的な「世の中金だぁ!」ではなく「働くいて得るお金は美しい!」的な思想が資本主義を発展させた・・・そんなかんじ?
あ・・頭いたいです(笑)

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えー。私も頭いたいです(笑)。
でも少し頑張ってみましょう。

まずマルキシズムについておさらいするところから始めましょう。
簡単にしか言いません。ここではマルクスの哲学的背景とか『資本論』については省略します。彼の「唯物史観」にだけ焦点を絞ります。「唯物史観」というのは、人間の歴史における発展や変化を語るとき、物質的な変化の説明にだけ頼る方法論を言います。具体的には経済活動や科学技術なのですが、マルクスは経済活動に焦点をあてて、あらゆる人間の発展をすべて経済活動で説明するという立場をとっていました。これに対して、政治や文化、哲学、宗教なども人間の発展には大きな役割を果たしたではないか、という議論が当然あります。マルクス以後の時代、この立場をとる人たちがアンチ・マルキシストなどと呼ばれましたが、マルクス自身はこういう経済とか科学技術「以外」の考えに則った議論のことを「観念論」なんて呼んでいました。失礼な話です(笑)。という訳で、b-xxxxballさんがコメントでおっしゃった通り、カール・マルクスの思想の基本は「経済活動」です。

一方、マックス・ウェーバーは、「経済活動の後ろにあるのだって人間の思想や倫理観である。それには宗教文化も大きく影響を与えていたはずだ」という立場をとっている訳で、時代的に見て、典型的なMarxism vs. Anti-Marxismの構図で議論を行ったということができます。

Karl Heinrich Marxが生きたのは1818年から1883年です。
Max (Maximillian) Weberは1864年生まれで、没したのが1920年です。
マルクスが亡くなった時、ウェーバーはまだ19歳なんですね。
二人がお互いに直接、議論を交わした事はないでしょうけれど、ウェーバーが研究を進めている時代というのは、マルクス理論への理解が進むと同時に、親マルクスと反マルクスの乖離もまた進んだ時代と考えて良いでしょう。ご紹介した『プロテスタンティズム…』が出版されたのが1904年です。日本史で言えば、日露戦争が始まった年。ロシアの第一革命が起きるのが1905年です。

さて、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ですが、ものすごく簡単な言葉でこのタイトルを説明すると、「プロテスタント(キリスト教の中で新教と言われる方の教派)が倫理的だと考えている思想の副産物が、非常に資本主義を進めるのに役立った」ということを言っています。結論を先に言ってしまうのですが、最初にコメントで質問のあったポルトガルというのは、カトリック(キリスト教の中で旧教と言われる方の教派)国なんですね。20世紀半ばまで、職業倫理についてカトリックとプロテスタントは非常に違う考え方を持っていました。この違いが、産業的に発展した国(経済的に成功した国)と、そうでない国を分けたのではないか、というのが、19世紀末から20世紀初頭に活躍したウェーバーの考えだったのです。

ここで、b-xxxxballさんが書いてくださった「働いて得るお金は美しい!」の意味をちょっと考えてみることにしましょう。これはものすごく的を射たコメントなんですね。私は本のご紹介をした立場なので、もう少しだけ言葉を足してみたいと思います。

働いて得るお金は尊いのですが、その職業には貴賎がある。たとえば、人を助ける仕事で得るお金と、売春で得るお金のどちらも美しいのか、というような議論があると考えやすいでしょうか。ここでは、どんな仕事でも、働きさえすればお金は美しいという訳ではないという発想があるのです。ただし、どんな職業が尊いのか、という発想が、今の日本で考えるものと、当時の欧米で考えるものでは、基準がだいぶ違っています。

20世紀の前半あたりまでの欧米社会を見れば、人々の倫理観の底には宗教感覚というのが根強かったと考えて差し支えないかと思います。日本でも儒教思想は明治生まれの方たちの中にはしっかり息づいていましたし、恐らく戦前の世代まではそれを直線的に受け継いでいたのではないかと思います。ですから、当時の欧米での大多数の人々の倫理観を規定していたものは、キリスト教だったと言って良いでしょう。キリスト教は大きく分けて、カトリックとプロテスタントに分かれるのですが、歴史的に古く組織がそのまま残っているカトリックから説明します。

カトリック教会というのは今でもそうなんですが、バチカンの教皇を頂点にヒエラルキーががっちりと出来上がっています。神に近い職業としての聖職者がいて(彼らはもちろんその職に就くための努力もしてきている訳ですが)、その下に一般信徒がいるというピラミッド構造で、世界中のカトリック信者が繋がっています。現代社会ではもちろん、我々が常識と考えていることのほとんどを認めているのですが、20世紀前半までは非常に封建的で保守的な組織で、また何より宗教団体ですから、まず神様ありき、な訳です。つまり、この世においても一番大事な仕事は神様に近い、聖職者ということになります。そして、一般信徒の救いは教会での活動を通じてということになります。また、一般の職業の中でも、いわゆる「額に汗して働く仕事」、つまり農業とか漁業などが職業として立派なものであり、今でいうサービス産業などは必要悪に近い職業という位置づけだったのです。(間接的な話になるのですが、ユダヤ系の方たちというのはこのサービス産業とか金融業とか、いわゆる第三次産業を得意とする方たちが多く、キリスト教国の人たちと昔から仲良くなれなかった事情がこういう部分にもあります。)

この職業倫理観というのは、キリスト教社会一般に近代まで信じられていたもので、カトリックに限ったものではありませんでした。但し、プロテスタントは宗教改革でこのカトリックのピラミッド型のヒエラルキーから外れたために、組織なくしても神様と繋がれるよう、個人と神のかかわりを重視しました。プロテスタントにも牧師という形で宗教指導者がいるのですが、それが一番大切な仕事であるという意味合いは薄まってくる訳です。個々人のどんな仕事でも、真摯に果たすことが神との約束を果たす事になる、という倫理観がプロテスタントのクリスチャンの中には芽生えていたとウェーバーは考えていたようです。この発想は、それまで「必要悪」と言われた第三次産業を選ばざるを得なかった人たちには、朗報であり救いになったはずです。堂々とその仕事を果たせるということで、就業人口も増えたに違いありません。この第三次産業の発達と、資本主義を構成する産業化や近代化はほぼ同じ意味だと思って頂いて構わないと思います。つまり、プロテスタントの国々では、それを進める精神的な準備が整ったということです。

プロテスタントの中でも何通りも教派があるのですが、スイスのカルヴァンが指導したカルヴィニズムに属するグループが、最も「個人」と「神」の関係を重視したというのがウェーバーの理論の拠り所です。カルヴィニズムの代表的なグループに、イギリスからその植民地のアメリカに渡った(逃げた)ピューリタンがあります。

つまりウェーバーは、アメリカのピューリタンを祖とするカルヴィニズムのグループ(現在の長老派や会衆派など)、そしてヨーロッパに残ったプロテスタント諸国が、その個人と神の繋がりによる職業倫理によって、産業化や近代化を進め、結果として国の経済活動を後押ししたと言っています。アメリカやオランダ、ドイツなどが好例で、これにイギリスが続く感じを想像してみてください。この逆説にあたるのがヨーロッパのカトリック諸国で、宗教組織のヒエラルキーや、第一次産業を優先する職業倫理観が、どうしても近代化になじめず、とりわけ19世紀後半から20世紀半ばという世界の近代化や産業化にとって最も大事な時期に出遅れる原因となったということになります。

1960年代にカトリック教会は大改革を行って、今では近代化や産業化についてこのような時代錯誤なことは言っていません。(ただ、現代の新しい倫理的な問題として、避妊や堕胎、同性婚についてはまだかなり保守的な見解を公式には発表しているのですが。これはまた現代の別の問題ということになりますが、ウェーバーのこの論文のように、将来、再び何かに取り残される原因になる可能性はもちろん否定できません。)

それでもこの近代化にとって最も重要な時期に出遅れたカトリック諸国の様子というのは、21世紀になった今日見ても、ウェーバーのこの理論からそれほど大きく外れていない状態で、ただただ驚くばかりです。カトリック国というのは、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、ポーランドなどを想像してみて頂くとわかりやすいでしょう。どの国も最初のイメージとして広がるのは、工業都市ではなく田園風景なのではないかと思います。ちなみに私の友人で東京都職員という人がいるのですが、彼曰く、東京都の一年間の予算というのは、イタリア一国の国家予算を上回っているのだそうです。

そして、ウェーバーはこの論文の後、自分の理論が世界の他地域の宗教でも通用するかを試すために、東洋宗教、道教や儒教についても、同じような論文を書いています。

というわけで。
現在欧米で経済的に遅れをとっている国々、進んでいる国々について、欧米の学生はまずこんな本から読まされてしまう、という留学話でした。もしわかりづらかったら、またコメントください。私もだいぶ忘れてしまっているので、また折を見ながら読み直してみたいと思います。

でも何よりも。
b-xxxxballさんには本当に素敵な質問を頂きました。自分の頭を整理しなおす良い機会になりました。そして、私の文章は自分では非常に悪文だと思うのですが、ここまで読んでくださったとしたら、それに何よりも感謝を。本当に本当にありがとう!
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by lapin_histoire | 2005-03-19 12:22 | 歴史書を跳ぶ