歴史するうさぎ

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2005年 04月 12日

THE PAPABILI--教皇選挙のフロントランナーたち

しつこいようだが、まだローマ教皇の話題である。
そして相変わらず無責任極まりないメモである。

ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサが終わり、話題は「次は誰か」に移っている。
現在、少なくともアメリカで最も名前の上がることの多い5名の枢機卿をあげておく。
(が、アメリカの教会とバチカンでは底で働く論理もまた異なるだろう。それでも日本のマスコミの「枢機卿の権力争い」のような報道よりは余程受け入れやすい。それにしてもThe College of Cardinalsの名簿を見ているんだろうか、日本のマスコミは。極めて疑問。)

Francis Arinze [Nigeria]
DOB: 11/1/1932
Position: Prefect, Congregation of Divine Worship and the Discipline of the Sacraments.
C/C: 1985

カトリックになったのが幼児の時ではなく、9歳になってからという異色の枢機卿。ナイジェリア出身の黒人でもある。堕胎、女性の叙階、ホモセクシュアル問題などについては、神学的に極めて保守的な考えを持つとされている。この点でヨハネ・パウロ2世を引き継ぐ部分もある。また、他宗教間の対話を推進する部局で長を務め、またイスラム教国へのNuncio(バチカン大使)の役職も経験があり、イスラム教国との対話推進という面を強調するならば、貢献が期待できるとされている。

Joseph Ratzinger [Germany]
DOB:4/16/1927
Position: Prefect, Congregation for the Doctrine of the Faith; President, Pontifical Bible Commission; President, International Theological Commission; Dean, College of Cardinals
C/C: 1977

"Transitional Papacy"と呼ばれる人物である。つまり、ヨハネ・パウロ2世のように長期間の務めを果たすべく選出される次の教皇が現れるまでの、中継ぎをさせるならこの人と呼ばれている。180名の枢機卿の長を務め、ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサの司式を務めると共に、教皇選挙のConclaveにあたっても長を務めることになっている。一般教義の中でも堕胎に対してはとりわけ反対の立場をとっており、アメリカにとっては、中絶法に賛成票を投じるカトリックの議員に聖体拝領を行わないようアメリカ司教団に勧告したことなどで知られている。具体的に言えば、前回の民主党の大統領候補であったジョン・ケリーのことであろう。

Diogini Tettamanzi [Italy]
DOB: 3/14/1934
Position: Archbishop of Milan
C/C: 1994

2002年のミラノ大司教選出と同時に、自動的にPapabiliに数えられている。なぜならイタリア最大の司教区の長であり、過去たった2人を除く全ての教皇がイタリアから選ばれたことを思えば、イタリア国内で最大の影響力のある教会の長であることは、教皇候補としての一大要因ではある。但し、ヨハネ・パウロ2世の時代が過ぎた後、その論理が通じるのかどうかは極めて疑問だが。ヨハネ・パウロ2世時代の多くの教皇回勅の草稿をまとめた人物であり、また、イタリア・カトリック司教協議会(要するにカトリックの本部である)の長でもあった。イタリア人の枢機卿団の票をとりまとめる力があるという意味で、候補に名前が挙げられているのであろう。彼もまた、ホモセクシュアル、堕胎に対しては強く反対の立場をとっており、セックス産業に関わった場合の中絶問題においては破門も辞さないとしている。

Christoph Schoenborn [Austria]
DOB: 1/25/1945
Position: Archbishop of Vienna; Ordinary for Byzantine Catholics in Austria.
C/C: 1998

この5人の中では60歳と最若手である(60歳で若手と言われても。ヨハネ・パウロ2世は就任時58歳だった)。ウィーン大司教になったのは、前任者や他の司祭たちによる、若年信者へのセックススキャンダルが問題となり、教区のカトリック教会のイメージのクリーンアップ化の役割も期待されてのことでもあった。しかしながら他の年長の司教たちからは、彼のそのイメージ払拭への努力が、強引過ぎたり、また前任者のスキャンダルを強調し過ぎであると苦言を呈されるなど、身内との戦いを余儀なくされている様子もうかがえる。

Claudio Hummes [Brazil]
DOB: 8/8/1934
Position: Archbishop of Sao Paolo
C/C: 2001

ブラジル最大の司教区、サンパウロの大司教である。司教職に就く前より、貧困問題に取り組み、global capitalismへの批判を繰り返し、全世界に広がる貧困に苦しむ人々を代弁するために働いて来た。教皇候補者としては、ヨハネ・パウロ2世の路線を確実に引き継ぐ人材とされる。ヨハネ・パウロ2世も貧困へはとりわけ深い関心を示しており、また、Hummesもまた教義的には保守で、避妊反対の立場をとり、ブラジル国内での政論を引き起こす機会も多いようである。

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それにしても改めて枢機卿名簿を見ると、余りにも年齢が高いことに驚かされる。ヨハネ・パウロ2世自身が、自らがそれだけ長生きすることを予想していなかったかのようですらある。最年少にあたる1950年代生まれは、フランス・リヨン大司教のPhillippe Barbarinの1950年とハンガリー、エステルゴン=ブタペスト司教のPeter Erdoの1952年生まれである。1940年代に生まれた他の枢機卿は13名。相互互選の教皇会議に臨む人々の1割半と言ったところだろうか。ちなみにヨハネ・パウロ2世ことカロル・ヴォイティワは47歳で枢機卿になり58歳で教皇となっている。

(恐らく今日の本文は、後日書き直しの必要が生じるでしょう。但し、選挙の結果によって書き直すことはしません。。)
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# by lapin_histoire | 2005-04-12 10:46 | 歴史のほとりに佇む
2005年 04月 09日

日本人の宗教アレルギーの原因

またローマ教皇帰天の話から始まる。
アメリカ東海岸では午前4時からバチカンでのヨハネ・パウロ2世の葬儀の様子がライブで放映された。「4人の女王、5人の国王、14人の他宗教の最高指導者」が集まり、西側世界で史上最大の葬儀となったと報じられている(NBCとWashington Postによる)。日本からは補佐官レベルのみ参列で、韓国も含めた西側各国の派遣団と比べると、見劣りすること極まりない。外交チャンスでもあるこういう機会に、どうしてこんなことしかできないのだろうかと疑問に思わざるを得ない(が、もちろんその理由はわからないはずはない)。

ここ数日、大学に行く度に聞かれることがある。
「日本では教皇のニュースは十分に流れているのか」

その度に、他の国際ニュース並みの扱いではあるけれど、恐らくはこの欧米での報道の状況の意味がわからないままに、集められた情報を報道しているのに過ぎないように見える、と答えている。

このような質問を私にしてくるのは、カトリック関係者というよりも、寧ろ日本研究者の方であったりする。そして彼らの反応もまた一様に「やっぱりね」という雰囲気なのである。

どうして日本人はこうも宗教に関心がないのか。
関心がないというのも非常に不思議な話なのである。なぜなら、哲学が生きるための助言を与えるのに対し、宗教は死ぬことを前提とした生への助言を与えるものだからである。真面目によく生きようと思う人々が、哲学と思わずとも哲学に触れ、自分なりの哲学的回答を導いていくのと同じように、いつか訪れるべき死を前提として「よく死ぬこと」と「よく生きること」を両輪として考えていけば、当然といえるほど自然に宗教的な解決を求めるというのが、世界中の一般的な考え方なはずと思われる。

日本人だって、かつてはそうだった。恐らくは第二次大戦までは、と言っていいようにも思う。神道と仏教が調和的に日本で育った背景には、神道が死後の世界をとりたてて語らないままに、自然と人間の共生の中で、いかに日本と言う環境の中でよく生きるかという発想の基盤になり儒教などと結びやすかったのに対し、仏教の方は、これまたことさらに死後の世界を強調し、生前の徳のすべてが死後の自分のためにと考えられているという、この両極端さがあるためではないかと思っている。これは片方の存在だけでは、一般民衆の間には生き残りづらかったのではないかとも思うこともある。キリスト教的な考えを振り返れば、一つでよく生きることとよく死ぬことの両面をカバーしているということだろう。絶対神として唯一の神を奉じているが、両方がカバーできるのだから、それで矛盾が起こらないのではないか。日本的神道では死後がカバーできないのだから、この発想の中では唯一神では不安でしようがないということになるのだろう。

日本人だって死者や葬儀を大切にするし、死について大いに語られている部分もある。但し、キリスト教圏の考え方から見れば、基盤のない極めてロマンティックな死生観ととらえられてしまう部分は否めない。星になるとか、空にいるとか、風や花に姿を変えるとか、前世があって、それが動物だったとか。それは死後への期待を秘めながら、何の理論的説明も与えられていないからの発想なのだろう。恐らく星でも風でも花でも、死んでなお、生きる人々に勇気を与え続ける存在であるという表現は、たとえばカトリックで言う、死者と生きる者は互いのために祈り合っているというのと、ほとんど同じ発想と言っていいように思う。これに哲学的なバックボーンが与えられて神学理論になっているかどうかの違いだけなのだろうと思う。お互いにその理論的裏付けがわからなければ、やはりどちらもロマンティシズムに満ちて見えるのかも知れないが。しかし少なくともその意味では、日本人が宗教的でない、などとはこれっぽっちも私には思えないのである。死を語る事が日本では他国よりも更にタブー視されるとするならば、その一因に、この宗教的に理論的な説明が与えられていないということがあげられるように思うこともある。いや、アニミズム(精霊信仰=神道などはこの代表的なものと考えられている)とは、そういうものなのかも知れないが。

それにしても、なぜ日本人は宗教に関心がなかったり、宗教が「嫌い」だったりするのか。
生の末に必ずや来る死を一度も考えない人はいない。
考えれば宗教に到達するのが自然である。
ここまでを仮定としてみよう。

私から見ると、日本人はそのことを考えているにも関わらず、わざわざ「考える必要がない」と自分を説得しているように思えてしまう。それもかなり知的に文学的にかつ巧妙に。その理論は知的であればあるほど、説得力があったり美しかったりもする。ともかく、この仮定あるいは前提をもとに回答を得るならば、やはり一言「アレルギー」なのだと言うより他にはない。それもある特殊な環境下の考え方が巧妙に散布され、恣意的に広められた「アレルギー」。

これは戦後の教育やメディアを使った大々的に仕組まれた政府によるコントロールだと言っても良いような気がするが、ともかく先に一つのステートメントを置くことにする。

日本人は政治的に宗教から引き離されている。
その理由はただひとつ、「国 家 神 道」再興を天皇制に傷をつけないままに阻むためである。

日本にいる時は、こんなことは考えたこともなかった。大学で史学科に在籍したくせに、近代日本史をきちんと勉強する機会に恵まれなかったこともあるのかも知れないが、日本で教えられている日本史は、世界のどこの国で教えられている日本史よりも、真実にアクセスしづらい仕組みになっていることだけは確かだと、アメリカで日本史を勉強した時に確信した。あらゆることについて、年代と事象と事件の名称だけは語られているのに、それらの事実が横にはほとんど繋げられず、論理的に結びつけられていない。第二次大戦に繋がる近代になればなるほどそれは激しくなり、また、近代天皇制を支えた神道的要素が強まる古代史教育にもまた同じ現象があらわれている。

ごくごく簡単な一例を引いてみよう。
日本書紀の「イザナギ・イザナミ」の神話について、我々の世代のどれだけの日本人が正確にそのストーリーと、そのストーリーが果たした役割を答えられるだろうか。

戦前に小学校・中学校に通った世代にとっては、これは常識なのである。が、私もアメリカで日本史の授業をとるまでは、恥ずかしながらわかっていたのはストーリーと、役割の半分だけだった。留学している歴史学以外が専攻の日本人の大学院生に尋ねてみたが、8人尋ねたうち、ストーリーを知っている人が2人(それもかなり曖昧に)、それが近現代日本史に与えた役割については誰も答えられなかった。これが日本で教えられている国文学と日本史教育の現状を如実に物語っているような気がする。

一方、アメリカで日本史を習うと、大学の低学年でもここは一番にきっちり教え込まれる部分である。

神話の世界で初めて夫婦となるイザナギ神とイザナミ女神の物語。
体に欠損と余剰をもつ二人の神が一体となることで一つの完成を見て、国生みを可能とする発想。最初の結婚の試みは、女であるイザナミが先に声をかけたことにより、奇形児の出産により失敗する話。そして2回目にはイザナギから声をかけたことにより完成した結婚が、淡路島から始まる8つの島と35の自然神を生み出す話。二人が湖にその聖剣を浸し、まずは自分たちを神聖なものとし、そして生まれた土地にその剣で水を放ち、「神聖な土地(国家)」とした話。その後に、イザナミが自ら産み落とした神によって黄泉の国へ渡り、迎えに行ったイザナギとのオルフェウス神話のようなストーリーの後に設定される、人間の死の概念。

多くの細かいストーリーが含まれる夫婦神の神話だが、日本ではなぜか二人が聖剣を使って、神話神である自分たちと、日本の土地を「神聖なものとした」という部分が、かなり抜け落ちて紹介されているらしいことに、留学してから気がついた。アメリカで日本史を勉強するならば、日本書紀で最も重視されるのは、この部分である。なぜなら、この章こそが、明治天皇と大日本帝国を他国の何者とも異なる神聖なものと定義する大前提となっていたからである。つまり国教化した神道のドグマの基盤である。

現代社会を生きる私たちには色々な豊かな想像を与えてくれる素晴らしい文学であるにもかかわらず、これは不幸なことだと言わざるを得ない。つまり、この章こそが、当時の日本を狂わせた国家宗教がその発想の正当化のための基盤に置いたものということになり、日本の帝国主義化の原因として最大の悪者扱いにされ、それゆえに、現代日本を生きる私たちへの伝承が意識的に遮断されているのである。

もちろん、文学としてという以上に、第二次大戦に向かう日本の軍国主義化への流れへの理解もまた、同時に遮断されているというところが一番重要な問題なのである。

これは自国政府による自国の歴史理解への妨害である。

なぜこんなことを政府がコントロールしなければいけないのか。
その最大の理由は天皇制の護持と、戦前に国教化した部分の神道の完全否定を同時に果たすためである。

私はクリスチャンだが、各国の状況を受け入れることを現在では前面に押し出しているカトリックのメンバーでもある訳で、天皇制に対しては何の反意も持っていない。寧ろ、日本の外交政策に哲学的なバックボーンを感じられないでいる私は個人的に、天皇家による皇室外交に期待を寄せている部分も大きい。なので、私自身が天皇制に何の反対もしていない部分については、くれぐれも誤解しないで頂きたいと思う。後に述べるが、日本にいるクリスチャンの中でもプロテスタントの幾つかのグループは天皇制存続に強硬な反対姿勢を示している。それは以下に述べようとしていることの中に原因があり、それはそれで理解できないことではないのだ。

日本が政府として最大に排除したい宗教、あるいはもう二度と関わって欲しくない宗教は、現代カルトでも外国宗教でもなく、実は日本を戦争に駆り立て、帝国陸軍に利用された部分の神道なのである。無論、現在は神社神道というのが主流で、そちらには何の問題もないし、国教化したものとは無縁の教派神道や民衆神道と呼ばれる部分も問題はない。問題なのはただ一点、国教化した部分である。これは本当に厄介なグループである。なぜなら、政府が守りたい天皇制を我こそが守るもの、という主張で戦うので、彼らを真っ向から否定すると、本人たちから「では天皇を否定するのか」と言いがかりをつけられかねないという危険が常につきまとう訳である。

だからこそ、宗派や教派を特定することなく、宗教そのものを排除するかのような流れを作らざるを得なかったのだろう。これはある程度海外で日本史の理解を深めた大学高学年や大学院生クラスにとっては、常識レベルの認識内容である。先にあるクリスチャンのグループが、天皇制そのものに反対していると書いた。これは、この政府の苦痛を反対側から消し去るための手段ということになる。つまり、天皇制さえなければ、政府はかつて国教化した神道を奉じるグループにこれ以上苦しめられる必要がない、という判断なのだ。彼らにとってもまた、戦後日本の苦しみに、何らかの解決をつけたいという善意の議論の末に出して来た要求なのだろう。

歴史教育というのは、どんな国においても国家の存立やイデオロギーに関わるもので、それから逃れることはおよそ不可能なのだから、その前提を受け入れ、歴史教育のその性格を十分に理解した上で、各国が各国なりに教えていけば良いのだろうと私は思う。だから、日本と韓国と中国の第二次大戦史観が違うこと自体には問題がない。無論、そのためには政府と教育を管理する省庁が、最善の善意と努力を尽くして、世界における自国の役割を理解し、そのための国際関係を構築する努力をしていることが前提である。その前提に立った上で、問題があるとすれば、それは各国のイデオロギーが反映されるのが歴史教育であり、他の国にいけば違う視点ももちろんあるのだ、ということを教えない怠慢にあるのだと思う。あるいは教師の側の不理解なのか。

歴史は悪者ではない。自国に誇りを持つ事も悪いはずがない。宗教も悪者ではない。

私は右やら左やらという表現は、余りにも視野が狭く思えて好きにはなれないのだが、ごく一般的かつ社会的な概念を用いて言うならば、日本は右も左も中庸も全ての人々が政府のこの「国 家 神 道」アレルギーにコントロールされているのだという結論に至らざるを得ない。

理解をあえて遮断させようとする歴史教育、そして、国民にアレルギー感覚を植え付け遠ざけようとする宗教。これは国家による洗脳だ。非常に不健康な状況に陥っているとしか言い様がない。政教分離と言えば聞こえはいいだろうが、要は例の神道が政府にかかわっていると二度と言われたくないということなのではないか。信仰としての神社神道との相違をはっきりと言うことができれば良いのだろうけれども、国教化した宗教から完全に逃げの姿勢でいるために、そして現在も天皇を奉じながらその宗教を掲げて政府を圧迫するグループに力が残る限り、政府としては敵を特定することなく、宗教全体を緩やかに遠ざけるしかないというのが今の日本の状況なのだろうと思う。

これに国民が巻き込まれているという状況は一体どうなのか。
最初の話に戻るが純粋な宗教というのは、極めて個人的に自らの死を思い、生の時間にそれを反映させていく指針となるものである。その個人的な思索の機会を、このような政治的な理由で徹底的に奪われている日本人の人権の問題とは一体どうなっているのだろうということを考えざるを得なくなってしまう。宗教を何らか持つ事は、日本以外のあらゆる国ではごく当たり前のことである。それは人間として生き、思索する権利でさえある。精神の問題が物質の問題より低いなどと平然と言ってのけるのは、かつての共産主義国家くらいのもので、中国でさえ今は一定の条件下で(極めて遺憾なレベルではあるけれども)宗教を認めるところまで来ている。

宗教を失えば、人間は精神をおざなりにするだろう。倫理観や道徳観がそれを補うという人が多いだろうと思う。それはそうなのだが、ではその倫理観と道徳観を支える理論はどこにあるのか。人間の良心の声か。それはある個人的な範囲までは機能するだろうけれど、それを超える複雑な倫理的問題を解決しようとするとき、指針はどこに置けるのだろうか。無神論哲学は一つの選択肢であるが、宗教全般と無神論哲学を全て並べた中からの選択でないならば、論拠自体が空洞化する恐れがある。そして、それらの思考をおざなりにした上で、ひたすらに物質主義化した挙げ句に、自分たちの生きる基盤が経済と物質以外に思いつかなくなり、思考が破綻する時がくる。その弊害に既に日本は侵され始めているのではないだろうか。

国家は確かにこのようなコントロールをしている。それでも政治体制的に見れば、日本ではまだ信教の自由の機会はあるのだ。最近の日本では、欧米の個人主義の表層の部分だけを取り入れてはいるが、本来その底には個人と神との繋がりという発想もある(これはどちらかというとよりプロテスタント的かも知れない)。善悪に対しても徹底的な指針がある。一つの可能性としてキリスト教というのも、現代の日本社会には本当は受け入れやすい発想なのではないかとも思う。少なくとも、西側のほとんどの社会において機能している訳なのだから、それが日本人にとって合うのかどうか、もう少し見てみようという姿勢があってもいいのではないかと思わずにはいられない。

いや、自分がキリスト教徒だから他の日本人もそうなるといい、なんていうことを言おうというつもりは微塵もない。けれども、ローマ教皇帰天と葬儀ミサの報道の様子と、その様子を話す日本の人たちを見ていると、「なぜ中身を見て話そうとしないのか」と問いかけたくなる気持ちを抑えきれないのである。周辺の問題だけではなかなか真実を語るのは難しいのだと思う。そういう興味から始まることは大切だけれども、余りにも中心について情報交換をできる機会が少ないということなのだろうか。そして、なぜあれだけの外交機会に日本は閣僚レベルが出席できないかの問題もある。それはここまで書いて来た事情にもかかわる、政府の及び腰と怠慢、あるいはその結果としての無理解と言わざるを得ないのだが(真実が怠慢までであることを切に願う)。

こんなことを論じて来たが、日本語でこれを書いたからには読んでくださるほとんどの方が無宗教に近いとおっしゃられることと思う。私はこの文章を特段の注意を払わず、言いたいに任せて書いてしまったとも思っている。だから、多くの方にとっては恐らく、ご自分の無宗教が政府の洗脳の結果と読み取れ、そのことに苛立や不快感を感じられることもあるのではないかと思う。

が、申し訳ないのですが、それがこの文章の真意です。日本研究を行うほとんどの欧米人は、真面目に日本を理解しようとすればするほど、この結論に行き着いています。知らないのは日本人だけなのです。受け入れて頂けるかどうかは全く別の問題として、その視点を紹介することが、この文章の目的だったことをご理解頂ければ幸いです。
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# by lapin_histoire | 2005-04-09 00:06 | 歴史のほとりに佇む
2005年 04月 07日

中国地下教会司教の運命

教皇関連のニュースはまだまだアメリカではとどまるところを知らないし、それは金曜日の葬儀ミサで一つの盛り上がりを見せ、そして教皇選挙で二つ目の山を迎え、そして新教皇就任で第三の報道の峠が来ることと思う。

それまでまだ10日もあり、本来ここでは宗教に関係のない別の分野の歴史の話をもっとしたいのだけれど、「はじめまして」の項目にも書いた通り、自分のacademic interestsを支え満たすのがこのページの自分にとっての目的なので、今日は最近のニュースの備忘録だけのために記事を書いてみようと思う。ともかくメモしておきたいので、細かいことは今は調べ直さずに書いてアップロードするつもりでいる。下書きもしていない。もし何らか情報を使ってみたい方がお読みくださっているなら、大変恐縮ですが、私がリンクやソースを貼付けるのお待ち頂くか、あるいはご自分でそこから先をお調べ頂ければと思います。基本的に余りにも間違ったことを書くことはないと思いますが、speculationがかなり含まれると思います。そこは備忘録に過ぎない記事であることを十分ご理解くださいますよう、お願いいたします。

今日書こうとしているのは、タイトルの通り、中華人民共和国とカトリック教会の関係である。共産主義国では原則として宗教は認められない。ソ連でもロシア正教会は地下活動で命を繋いでいた。現在正教会とカトリックを比べると、正教会の教義の方が余程厳しい。それがソ連時代には、生き残りのためにかなり緩めていた部分があることを、友人を通じて知らされたりもしている。背景は異なるが、日本の隠れキリシタンに通じるものを感じる。

現在中華人民共和国には二つのカトリック教会がある。一つは、政府公認のカトリック教会と言われている。中国政府は、外国人をリーダーに頂く教会を認めることはない。この教会は、政府が認めた中国人の最高責任者がいるカトリック教会なのである。ローマ・カトリック教会には、カノン法という、ナポレオン法典より古い法律がある。これが改訂に改訂を重ね、今でもカトリック教会の教義となっているのだが、ローマ教皇を頂きに置かない教会はカトリック教会ではないというのは、カノン法をわざわざ引かなくても理解するのは難しくはないはずだ。つまり、政府公認の中国のカトリック教会は、バチカン非公認の裏教会なのである。

もう一つはもちろん、バチカンと教皇に忠誠を誓う、他国と同じ条件の本来の姿の「ローマ・カトリック教会」である。しかし、上に書いた理由によって、政府に公認されることはなく、必然的に中国国内では「地下教会」となっている。

(蛇足であるが、日本でも1937年、第二次大戦直前の宗教法人法改正によって、外国人をリーダーにすることができなくなり、この時、全てのキリスト教教会で日本人の代表が誕生している。カトリック教会に関して言えば、これを機に日本人司教が生まれる訳だが、問題は、信徒が「カノン法」を理解するための「公教要理(Catechism)」の教科書の日本語版に、「教会の最高代表者はローマ教皇である」と書けなくなったことである。この時、苦肉の策として、たとえば東京の信徒であれば、「東京大司教の指示に従う」というような形の表記がされたことがあるそうだ。日本の時代背景も、現在の中国の状況に準じるものがあるようにも思うが、二つの教会の対立と、本来のカトリック教会の政治的危機を見る時、中国の方を深刻視せずにはいられない。)

(二つ目の蛇足であるが、そんな訳で身の回りで大陸中国出身の方が自分がカトリックであると言われた時には、どちらの教会員であるかを答えることは、どちらのメンバーにとっても非常にsensitiveな問題であるということを、記憶しておいて頂くと良いと思う。)

さて、亡くなった教皇ヨハネ・パウロ2世は2003年の枢機卿選出に際し、「自分の心の中の」枢機卿を名前を公表することなく任命した。条件はすべて名前が明らかにされている枢機卿と同じであるが、ただ一つ、その名前はどこにも記されず、教皇の死と共に無効にされると当時の新聞で読んだ記憶がある。(この無効の話は今回確かめ直していない。)

この非常に珍しい任命の報を聞き、多くのカトリック関係者は(というか事情がわかっている全てのカトリック関係者は)、この枢機卿が中国から生まれたに違いないと想像した。政府から迫害を受け続ける中国カトリック教会は、バチカンの大きな関心事であり、日本の教会も隣国の教会のこの状況を憂い、日々の祈りの対象としている。

最近の報道で恐らく周知となった通り、バチカンのヒエラルキーの頂上にいるのが教皇であり、その直下にあたるのが180名ほどの枢機卿(英語ではcardinals)である。日本には二人の枢機卿がいる。東京大司教区の白柳誠一大司教と教皇庁移住・移動者司牧評議会議長
の濱尾文郎大司教である。二人とも80歳未満であり、今回の教皇選挙の選挙権と被選挙権がある。中国で生まれたと想像される「心の中の」司教は、教皇が帰天した今、選挙権があるのかどうかよくわからない。これもこの記事をアップした後、なるべく早い機会に調べてみたいと思う。

そこに昨日のニュースである。
中国の「地下教会」のヤオ司教(Bishop Yao Liang)とワン司祭(Father Wang Jinling)が、中国政府に逮捕監禁されたというのである。

このニュースからわかることは、恐らくバチカンの方針や考えではなく、バチカンに対して、中国政府がどんな予想を立てていたかであろう。

あくまで想像しうる範囲の話であるが、つまりは
中国政府はヤオ司教が、教皇が2003年に選んだ「心の中の」枢機卿と想像していたということである。枢機卿は教皇選挙への出席「義務」がある。これは「義務」なのである。欠席するからには相応の理由が必要な事例である。想像されるのは、中国政府が教皇が選んだに違いない中国の地下教会の枢機卿の国外への外出と教皇選挙への出席を封じ、あくまでローマ・カトリックを国内では認めない方針を強固に示そうとした。

これはあくまでも想像の域を出ないが、辻褄は合っている。

たとえヤオ司教がヨハネ・パウロ2世から任命された枢機卿であったとしても、今回の選挙に出席することは、これらのニュースから見て、極めて困難に見られる。あるいは、ヤオ司教という代表に足る人物がいることを隠れ蓑に利用し、次席の司教を枢機卿に選んだと言うことはあり得ないだろうか。宗教機関と見なされているだろうが、バチカンは国家でもある。聖職者であっても、専門の学問を積んだスタッフが外交を担ってもいる。政治的駆け引きには、ある意味では世俗の政治家よりも慣れているフシがないわけでもない(これはもはや信徒の想像であって、何の学術的裏付けをするものでもないが、世界のカトリック系大学のインテレクチュアルの顔ぶれなどに見る聖職者を想像することができれば、納得して頂けるかも知れない。イエズス会系で想像すると面白いだろう。)

ここからはもう学術的な記述は捨てる。

もし本当にヤオ司教が「枢機卿」であるならば、ヤオ司教を教皇の有力候補に据えて考えてみるというのはどうだろう、という乱暴というにも乱暴過ぎる議論もありうるかも知れないと想像してみる。研究対象を弄ぶのもいい加減にしろと言われそうな話だが。

アメリカの報道で、アメリカの枢機卿たちが教皇になることはないのだろうか、という話題がある。それは恐らくあり得ないだろう。アメリカのカトリック教会の問題は、アメリカに特有の問題であり、universalな問題とは言い難いからだ。司祭の若年層信者への性的虐待や、避妊問題などが取り沙汰されるが、世界的に見れば、教会の問題はそんなところにはない。もっと大きな問題は、発展途上国に増え続ける信徒を直撃している「貧困」であろう。正直なところ、ヨハネ・パウロ2世の後は、最大の問題は「貧困」に据えられ、中南米か東南アジアからの教皇選出が、一つの可能性としてよく語られていた。ただ、2001年のテロ以降、その他の要素が余りにも不確定となり過ぎて、この説は以前ほど有力ではなくなっている。

アメリカの教会から教皇が出ないと予想されるもう一つの大事な問題だが、アメリカの教会は世界的に見て、必ずしも成長してはいないのである。現在、世界のカトリック教会で著しい成長を遂げているのは、実はアジアである。東南アジアや韓国での信徒数の増加は目を見張るものがある。バチカンへの上納金(という言葉もなんだが)において貢献著しい日本の教会に焦燥が見え隠れする原因でもある。日本の信徒数は僅かに増加傾向にあるが、アジアの他国に比べれば、それは限りなくゼロに近い微々たる数値と言える。そして、前述の通り、各国でマジョリティとしてのカトリック人口を抱え、そして世界的視野で見れば大きな問題である貧困を抱える中南米もまた、教会にとって重大な存在感を放っている。更に、成長著しいと言えば、アジアの次にあげられるのは、アフリカのカトリック教会でもある。これらの地域に比べると、アメリカの教会は見劣りしているのである。

人権、貧困、政治による宗教迫害--こういった時代背景を担って現れるのに相応しい教皇は誰か。想像するだけなら許されても良いだろう。

今日の記事は備忘録だから、結論は何もない。
ただ、ヨハネ・パウロ2世が晩年に任命した匿名の枢機卿の運命はどこに向かっているのか、中国のヤオ司教はこの一連のバチカンでの出来事には全く関わることはできないのか、そして教皇選挙が終わった後、司教はどのように中国政府に扱われるのか。無宗教化が進むヨーロッパ、独自の問題を抱えるアメリカ、そしてそれぞれの成長と問題を抱えるアジア、中南米、アフリカのカトリック教会はどこへ向かい、そして教皇選挙にどのように関係していくのか。

様々な疑問だけをここに書き連ねて終わる。

もう一つ、予告のようだが、ヨハネ・パウロ2世の1997年の勅書"Ecclesia in Asia"(アジアにおけるカトリック教会)について、遠くならないうちにメモ程度でも書いてみたいと思う。なぜならばこの中で、ヨハネ・パウロ2世は明確に「キリストはアジアで生まれた」と述べ、カトリック教会にとってのアジアの重要性を強調しているからである。

今日はここでタイプする手を止めることにする。

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追記:「心の中の」枢機卿(Cardinal in Pectore)については、かつてウクライナとラトヴィアがソ連(共産主義国といて無神論を貫いていた)の一部であった時代に、ヨハネ・パウロ2世はこの2つの地域からも匿名で選んでいるが、後に、両国の独立と教会の回復と共に、二人の名前を公表した。現在、国が認可した宗教しか認めないという政治姿勢を貫いている唯一の国が中華人民共和国であるそうだ。

このcardinal in pectoreのタイトルの有効性についてだが、カノン法では口頭で教皇が宣言する必要はないものの、何かに記録がなければ認められないとされているらしい。もしも教皇がどこにも書き残していなければ、この枢機卿は任務遂行はできない。遺書の中に名前が書き残されていないかというメディアの質問が出ているのはこのためである。もし名前が残されて、教皇選挙前に明らかにされれば、この枢機卿には選挙権が与えられ、現在117名と言われている選挙権のある枢機卿は118名に訂正される。(4/8/2005 07:50AM JST)

後から色々調べてわかったのだが、ヤオ司教とワン司祭、どちらも80歳を超えているらしい。もしも枢機卿だったとしても、選挙権がないということになり、その影響力は弱いのだろうか。教会が地下組織化した段階で、神学理論をバチカンが定める方法で勉強する機会のある司祭がいなくなったということもあるのだろう。枢機卿レベルのいわゆる学者タイプの司祭が若手の中に育つ機会が摘み取られているということも考えられるのかも知れない。が、いずれにせよ、このspeculationはspeculationの枠を超えない可能性も、この年齢の情報によって強まったのかも知れない。いずれにせよ、私にとってはこの記事はメモなのですが。(4/12/2005 10:20 JST)
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# by lapin_histoire | 2005-04-07 13:46 | 歴史のほとりに佇む
2005年 04月 02日

教皇ヨハネ・パウロ2世の時代が幕を引く意味

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の危篤が報じられ、メジャーな朝のニュース番組が主要メンバーを夕べのうちにバチカンに送り込み、今朝の多くのニュースがバチカンから報じられている。NBCのTodayはメインキャスターの中でも看板格のMatt Lawerを送り込み、3時間の番組の半分以上がバチカンからの報道に費やされた。どうしてこのような報道姿勢になるのか、アメリカに滞在している報道関係者も含めて、多くの日本人には正直なところ理解できないのではないかと想像する。それは、昨年の米大統領選報道でほとんどの日本の報道が軽視し、結果の行方を見落とした部分でもあると思うのだが、恐らくその時にも自分たちが何を見落としたのかに気付かなかったに違いない。

宗教の意味を日本人は一般の感覚の中から完全に失っている。学者や報道といったインテレクチュアルの中にさえ、それを見る感覚はほぼ完全に喪失されていると言わざるを得ない。日本人がそれを理解する必要がないという議論を云々するつもりはないが、それがなければ、少なくともアメリカは理解できない。それだけは断言できる。これはトラップかも知れない。文化、宗教からアメリカを語る人々は、みな政治、経済にも関心と注意を払いながら議論を進めなければいけないことを知っている。が、政治、経済を中心にアメリカを語る人々は、宗教を欠いて発言することで、内容の重大な側面を見落とす可能性に気付いていない場合がほとんどだ。それでもアメリカに育った人は、感覚的にそこをカバーしている。その感覚を持たない場合、何が欠けているかにさえ気付かない可能性が高い。日本のインテレクチュアルの多くは、物事のmaterialな側面には非常に明るいが、spiritualな側面を軽視し過ぎだ。それを重視する国民のことを見ようとするならば、少なくともそういう人々がいて、そういう視点に意味があるということだけは理解するべきだと私は思う。

この宗教に対する感覚について、アメリカを語る時には重大な意味がある。西欧については議論が分かれるだろう。フランスは宗教を捨てたと言っても過言でない。恐らく日本と状況は大きく変わらない。が、東欧や南米、南アジアやアフリカでは、様々な意味で宗教は政治にも経済にも影響を与える力をまだ持っている。中東に至っては言うまでもない。

日本のほとんどの人はヨハネ・パウロ2世の役割を知らない。
彼は2000年のカトリック教会史の中で、二人目、約450年ぶりの非イタリア人教皇である。元々はポーランド出身の枢機卿であった。(名前はカロル・ヨセフ・ヴォイティワ[Karol Józef Wojtyła]と言った。)さらに、彼の前任であるヨハネ・パウロ1世は就任33日目に急死を遂げている。教皇選挙権と被選挙権を持つ枢機卿は、どの時代においても、一般的に考えて生涯一度しか教皇選挙の機会に立ち会えないものである。教皇職は終身制と定められてはいないものの、多くの教皇は、そして様々な身体的苦痛にあった現教皇はとりわけ顕著な例であるが、「神が自分に時間を与える限り」その職を全うしようとすることで、教会のリーダーシップを示そうとするからである。

話がずれたが、そういう訳で、ヨハネ・パウロ2世は、前任者を選んだ同じメンバーによって選出された史上稀なる教皇なのである。それがどのような意志となって現れるか、様々な可能性が議論されるだろうし、仮説も語られるだろう。少なくともヨハネ・パウロ1世と比べてみれば、全く違うタイプの人物が選ばれたことで、枢機卿たちの考えはより明確に示されたというべきだろう。結果として、彼らは現教皇を選び、恐らくその結果が、現教皇のこれまでの26年間の全ての行動を形作ってきた。

史上初のポーランド人教皇の選出は、1978年の世界(それはもちろん欧米中心のものではあるけれども)に対して、バチカンの期待という形で、一つの明確な意志を示していた。

この教皇の任期中に、冷戦に一つの決着をつける。
その終結を組織として世界最大規模の教会として期待する。

これは当時、どれくらいの人が気付いていたかは別として、強大なメッセージだったことは間違いない。事実、自国から教皇を輩出したカトリック国であり東欧で圧迫され続けたポーランドでは、「連帯」の活動が教皇選出を機に活発化し、ポーランドのナショナリズム運動に火をつけることになる。ポーランドで起きたナショナリズム運動は、東欧圏中に飛び火し、ソ連を圧迫し続けた。結果が15年を待たずに出たことを我々は目撃したし、この連鎖が偶然でないことを、当時の記憶を持つ人々は恐らく否定しないと思う。東欧とソ連の解体を経済問題だけで語れば、この視点は失われてしまう。

ヨハネ・パウロ2世の選出は偶然でもなければ、純粋に宗教性だけに基づくものでもない。
彼の選出は、バチカンの国際政治への影響力を明確に示している。

現教皇のもう一つの特徴は、対話の旅だった。
文字通りの旅する教皇であった。

バチカンに籠り、外から会いに来るのを待つという従来の教皇のあり方を、彼は真っ向から否定した。日本を初めて訪れた教皇でもある。目的はただ一つ。対話である。

カトリック国の問題について語る対話はもちろんだったが、現教皇の最大の功績は、他宗教のリーダーたちとの対話と言っても過言ではない。紛争の耐えない中東のイスラム教のリーダーたちを積極的に訪ねた。ギリシャ正教をはじめとする正教会との対話や、イギリス国教会大主教との対話の機会も少なからずあった。キリスト処刑の経緯ゆえに決して相容れることがないと思われたユダヤ教徒との関係を修復したのも現教皇だ。これを実現するために、ヨハネ・パウロ2世は、第二次大戦中のユダヤ人虐殺に対してカトリック教会が無関心であったことに謝罪を表明している。謝罪と言えば、破門の上処刑された中世の科学者たちの名誉回復をしたのもこの教皇だった。日本の仏教・神道の指導者との対話もあった。ダライ・ラマを支持していた。まさに現代に生きる教会を実現するために、奔走し、現代の問題としての異宗教間紛争の調停を、カトリック教会全体として実現するための布石を敷き続けた。

宗教と政治の観点から見れば、これだけリベラルだった教皇はかつて存在しない。それは時代の要請でもあった。

一方、教会内の信仰の問題についてこれだけ保守を積極的に語った教皇もいないだろう。それを語らねばならない時代だったということもある。いずれにせよ、ダイナミックにバランスをとっていた教皇の発言は、見るものにとっては、肯定的な意味でも否定的な意味でも、議論するに足る魅力的なものだった。

彼が言葉と体で示したもう一つの問題は、「命」そのものである。
死刑制度についても、堕胎の問題にしても、そこから派生する避妊や安楽死の問題についても、その考えは一貫していた。現代社会では、多くは経済的な理由から妥協して考えざるを得ないモラルの問題がある。それが政治に影響を与えていることは言うまでもない。

死刑制度廃止の問題は、民主党が支持し、共和党が反対する。
避妊、堕胎の問題については、民主党は認めよと言い、共和党は積極的に意見を述べない。

「生かせ」と「殺して構わぬ」を同時に語る一つの党。おかしくはないか?矛盾はないのか?
「生命」の問題が政治のキャスティングボードになるというならば、どうしてこれほど一貫性がなくなってしまうのか。心に誠実に生命の問題を考える人にとっては、民主党支持か共和党支持か決められない。それが答えになる状況がある。つまりこの問題は、政治政党の枠組みで語られた途端、他の要素に縛られ、本来の「命」の問題ではなくなっているということだ。その「他の要素」は教会が発言する領域ではなく、したがってそのために教会が揺れる必要も、非難される必要も全くない。

教皇の発言は保守に過ぎると見えるだろう。避妊の必要性を必死に解いたクリントン元大統領が「馬鹿者」呼ばわりで教皇に一蹴される様子は、個人的にクリントン氏に好感を持つ私にとっても、どこか小気味の良いものがあった。私自身も避妊の必要性、重大なケースにおける堕胎の必要性は理解しているし、それを支持する気持ちもある。ただ、精神面での牙城としてのバチカンの存在が揺るがず一貫していなければいけない、というこの教皇の姿勢は、私にとっては心地よかった。バチカンが揺るげば、キリスト教的価値を重視する地域や人々のモラルの一番厳しい基準値が変わる。それが世界を変える。揺るがないバチカンを見ながら、どこまでの妥協が妥当なのかとその可能性を探るのは、世俗の世界の問題であって、バチカンの仕事ではない。バチカンは現代という時代に則した形の中で、基準値の一番厳しい値、妥協ではなく宗教的理想に基づく基準を示しているだけだ。それを勘違いするべきではないと思う。

そうは言っても、宗教を真剣にとらえる国民性を持つ国々では、バチカンが与える政治的影響力はこのような理由で看過する訳にはいかない。政治を動かすこのような生命倫理にかかわる問題に対して、しかし教皇は全く個人的に、そして単純にこれを示そうとしている。キリスト教徒にとって生命は神から与えられたものであり、与えられた以上全うすべきものである。終身制でないにもかかわらず、ヨハネ・パウロ2世が引退を表明しなかったのは、ただ一点ここにある。命の限り使命を全うすること。この数年間、ニュースを通して私たちは教皇の選んだその生き方に立ち会ってきたし、そこに彼の明確なメッセージがあったことを私たちは知っている。Terri Schiavoの安楽死問題に対して、明確に教会が反対できるのは、教皇がこうして病と闘っている事実が後ろ盾になっているからでもある。夫と両親、司法と政治の問題が命の問題に絡んで戦っているが、どちらを支持するにしても、教会が一つの明確な答えと意見を持っていることを意識することは、無意味ではないはずだ。

高齢に至ってからは健康に恵まれなかった教皇だが、その為すべき仕事を全て為した、為しきったと言われる教皇でもあると思う。ニュースは今、彼の生命が最後の数時間を迎えていると報じている。おそらくこれが正しい情報を私たちに伝える一番適当な「言い換え」なのだろうと思う。

教皇は夕べ「病者の塗油」という秘跡を受けている。かつては「終油の秘跡」と言われたものだ。(ちなみに、朝日新聞は未だにこの古い用語を使っている。訂正できる人材がいないのだろう。)カトリックの秘跡の多くは神からの「赦し」を目的としている。多く誤解を受けるが、これは、簡単に過ちが赦されることや、過ちに対して甘い意識があるという意味ではない。仕事においても生活においても、正しい方向を求める時、すべてを教会が定める「罪」なるものに意識を払っていては十二分にその善への意識も生かされなくなってしまう。時には逸脱を恐れずダイナミックに模索しなくてはいけない時がある。しかし、教会は何が「罪」かを明確に定めて列挙しているし、そこに後ろめたさを残しては次に進むことがままならない。宗教的に言うならば、「罪」の羅列の究極には、天国への道の閉ざしがある。現世的な視点だけで考えるならば、失敗を悔やんで前に進めないという感覚と言えば、理解されやすいと思う。そのために、神の代理人としての資格を教会から認められた司祭を通じて赦しを受けることには、それなりの意味がある。そして、死を前にするならば、生きてきた道のりのすべての罪を赦されてその時を迎えることには、信徒にとっては重大な意味がある。従来の「終油の秘跡」には、この最後の赦しの意味しかなかった。現在は重篤な病状からの帰還の可能性が科学的に増えたことも踏まえ、この秘跡はむしろ病者に対する神の加護と恵みという意味を含むようになり、必要があれば複数回受ける可能性もある。現教皇の命を思う時、両方の意味で祈りたいと思いつつ、これだけの活動を実現した彼が、すべての準備を済ませたことに安堵する気持ちもある。

個人的に言えば、カトリック教徒である私にとって、教皇には大きな父親のイメージというのも確かにある。親しく感じる部分もある。その意味でPope(パパ様)と呼ばれるのは相応しく、そしてその大きな父が今向かうところを見れば一抹の寂しさを感じない訳ではない。彼は私が中学生の時からの教皇であり、いくら幼稚園からカトリック系の学校に通ったと言っても、自分が明確にカトリシズムを考えてきた道のりの全てにおいて、私にとっての教皇はヨハネ・パウロ2世だった。私個人にとっても、カトリック教徒として生きて来た一つの時代の幕引きになるのだろう。

しかしそれよりも--
これだけの役割を果たしてきた教皇は、病気に苦しむ間に、随分長い準備の時間を残される者たちに与えて来たはずだ。バチカンが次をどう考えているのか。どこを見据えているのか。遠からず私たちはそれを見ることになる。その時に、バチカンが示すその方向にどんな反応や判断をすることになるのか。私たちもそれを試される機会が来ているということでもある。

その意味で、今私たちは、過去と未来を分かつ「歴史の分岐点」に立ち会っている。彼が去る時、冷戦はもう一度終わるのだろう。そして、次なる世界の解くべき問題として何が提起されるのか。それをじっくりと見つめ、その意味と可能性を考える機会がくる。

今朝からのニュースの動きにはそういう意味があるのだと、歴史家の端くれの私は考えている。ちなみに、アメリカのカトリック人口は、総人口の27%である。この数値は教皇の健康状態を伝える一連のニュースの必要性のもう一つの後ろ盾でもあり、また、全く別の内容の多くのアメリカ論のソースにもなるだろう。


本記事は
Excite エキサイト : 国際ニュース;ローマ法王、病状深刻 心臓機能、大幅低下[ 04月01日 21時30分 ]』と
Excite エキサイト : 国際ニュース:<ローマ法王>死去、84歳 激動の国際政治に深く関与[ 04月03日 05時58分 ]
にTBを送っています。

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追記:アメリカ東海岸の時間で4月2日朝、日本時間の2日夜に日本のニュースサイトをチェックしたところ、半日前と比べ、ローマ法王(教皇庁では「教皇」の呼称の方を希望している)の病状についての報道が目立つようになってきている。欧米の報道の様子に何か異様なものを感じて慌てて取材をしているという雰囲気も感じられる。もちろん誤解かも知れない。日本国内での報道の様子はTVなどを通じて見ることができないため、どうしても温度が感じられない部分をご了承ください。(4/2/2005 8:30 AM EST/10:30 PM JST)
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追記:カトリック信徒としての表現で言います。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は現地時間4月2日午後9時37分、帰天しました。キリスト教の世界では、死は終わりではなくもう一つの命への始まりと考えられています。寂しさはあるものの、悲しみのムードというのが伝えられているとすれば、それは少し違うのではないかと思います。また、次期教皇選出をめぐる教会内の勢力争いを中心に報道されているとすれば、それにも大きな違和感を感じます。それは今後の教会自体の関心の中心を世界のどこに置くかの問題であり、枢機卿個人の権力の問題とは異なるからです。理解されづらいと思いますが、世俗的な政治的関心とは異なる部分がどうしてもあるのです。

教皇に対しては、「神の御前にその魂が安らかに憩いますように」--恐らくこれが正しい送り言葉ではないかと考えています。信徒の最も陥りがちな教会の罪である「怠り」から、最も遠いカトリック信徒であり、教皇にふさわしい人物を26年の長きに渡りリーダーに頂いていたことを、誇りに思います。(4/2/3005 20:30 EST/4/3/2005 10:30 JST)
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# by lapin_histoire | 2005-04-02 02:00 | 歴史のほとりに佇む
2005年 03月 21日

Johannes Hirschmeier, S.V.D., "Shibusawa Eiichi: Industrial Pioneer"

Johannes Hirschmeier, S.V.D.
"Shibusawa Eiichi: Industrial Pioneer"
William W. Lockweed. Ed.
The State and Economic Enterprise in Japan:
Essays in the Political Economy of Growth

Princeton, NJ: Princeton University Press, 1965

世界にあまたある渋沢栄一論の中で、どうして私の指導教授がこの論文を選んで読ませたのかは、その後長い間私の疑問だった。著者は南山大学学長だったヒルシュマイヤー博士である。日本人が見た日本の経済人論という視点を、まず徹底的に排除させたかったのだろうか。それでありながら、日本での教育に長い間携わられた著者の視点が、世界の中で日本が発展の一歩を踏み出す様子を理解するのに不可欠という発想があったのだろうか。

渋沢栄一は、徳川昭武一行と共にパリの万博の視察に同行し、岩倉ミッションとは別ルートで欧米の先進文明に触れている。そして、大蔵省に招かれ、退官後は第一国立銀行を設立したという功績で語られることがほとんどであろう。

ヒルシュマイヤー氏も、無論渋沢のこの軌跡と功績を追いながら、しかし執拗に描いたのは、そのキャリアの「偶発性」と、判断の優柔不断さ、あるいは柔軟さのように思えてならない。

(つづく--4月に入ってからゆっくり更新の予定です)
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# by lapin_histoire | 2005-03-21 06:52 | 19世紀日本を跳ぶ
2005年 03月 19日

Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism

Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism
(New York: Harper Collins Academic, 1930).
マックス・ウェーバー著 梶山力・大塚久雄訳
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上・下)』
(1962年 講談社)

私が別に運営しているブログ上でアップした記事(2005年3月17日)に対してコメントを下さった方と、以下のようなやり取りが交わされた。とても素敵なやり取りだったと信じている。これをこのまま中途半端な形で小さなコメント欄でお返事するのはとても気が引けるし、かと言って、そのページで余り踏み込んだ深い話をしてしまうのも、他に訪ねてくださる方たちのことを思うとどんなものかとも考え込んでしまう。たまたま春休みに思い立って開いたばかりのこのブログの最初の一冊としてウェーバーというのは相応しいように思うし、とてもchallengingだ。歴史学専攻の人ばかりでなく、普通にこの本を手にとられる方たちが興味を持てるような、あるいはわかりづらい部分を補えるようなものが書ければと思う。

もう一つのブログで交わされたのは以下のようなやりとりである。私のポルトガル旅行と、自分が高校時代に大航海時代のヨーロッパから欧米発展史について思っていたところを書いた記事に対するコメントを頂いたところから始まった。

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Commented by b-xxxxball at 2005-03-18 05:22 x
大航海時代、先頭をきっていたポルトガルが現在ヨーロッパで遅れをとってしまったのはなんでだろう?
もっと勉強しとけばよかったなぁ(笑)

Commented by rapxxxe at 2005-03-18 07:58 x
びーはいさま☆空気読んでないまじレスだったらごめんなさいね。その質問の定番の答えはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をまず読む、なんです。マルキシズムのアンチ・テーゼと言われた本です。もしまだで、機会があったら是非。高校くらいで習った勉強って、今見直すと面白いものがたくさんかも知れないですよ^^。もう試験関係ないし(笑)。

Commented by b-xxxxball at 2005-03-19 02:14 x
高校くらいで習いませんよー!少し調べました。
えーと。マルクス的な「世の中金だぁ!」ではなく「働くいて得るお金は美しい!」的な思想が資本主義を発展させた・・・そんなかんじ?
あ・・頭いたいです(笑)

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えー。私も頭いたいです(笑)。
でも少し頑張ってみましょう。

まずマルキシズムについておさらいするところから始めましょう。
簡単にしか言いません。ここではマルクスの哲学的背景とか『資本論』については省略します。彼の「唯物史観」にだけ焦点を絞ります。「唯物史観」というのは、人間の歴史における発展や変化を語るとき、物質的な変化の説明にだけ頼る方法論を言います。具体的には経済活動や科学技術なのですが、マルクスは経済活動に焦点をあてて、あらゆる人間の発展をすべて経済活動で説明するという立場をとっていました。これに対して、政治や文化、哲学、宗教なども人間の発展には大きな役割を果たしたではないか、という議論が当然あります。マルクス以後の時代、この立場をとる人たちがアンチ・マルキシストなどと呼ばれましたが、マルクス自身はこういう経済とか科学技術「以外」の考えに則った議論のことを「観念論」なんて呼んでいました。失礼な話です(笑)。という訳で、b-xxxxballさんがコメントでおっしゃった通り、カール・マルクスの思想の基本は「経済活動」です。

一方、マックス・ウェーバーは、「経済活動の後ろにあるのだって人間の思想や倫理観である。それには宗教文化も大きく影響を与えていたはずだ」という立場をとっている訳で、時代的に見て、典型的なMarxism vs. Anti-Marxismの構図で議論を行ったということができます。

Karl Heinrich Marxが生きたのは1818年から1883年です。
Max (Maximillian) Weberは1864年生まれで、没したのが1920年です。
マルクスが亡くなった時、ウェーバーはまだ19歳なんですね。
二人がお互いに直接、議論を交わした事はないでしょうけれど、ウェーバーが研究を進めている時代というのは、マルクス理論への理解が進むと同時に、親マルクスと反マルクスの乖離もまた進んだ時代と考えて良いでしょう。ご紹介した『プロテスタンティズム…』が出版されたのが1904年です。日本史で言えば、日露戦争が始まった年。ロシアの第一革命が起きるのが1905年です。

さて、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ですが、ものすごく簡単な言葉でこのタイトルを説明すると、「プロテスタント(キリスト教の中で新教と言われる方の教派)が倫理的だと考えている思想の副産物が、非常に資本主義を進めるのに役立った」ということを言っています。結論を先に言ってしまうのですが、最初にコメントで質問のあったポルトガルというのは、カトリック(キリスト教の中で旧教と言われる方の教派)国なんですね。20世紀半ばまで、職業倫理についてカトリックとプロテスタントは非常に違う考え方を持っていました。この違いが、産業的に発展した国(経済的に成功した国)と、そうでない国を分けたのではないか、というのが、19世紀末から20世紀初頭に活躍したウェーバーの考えだったのです。

ここで、b-xxxxballさんが書いてくださった「働いて得るお金は美しい!」の意味をちょっと考えてみることにしましょう。これはものすごく的を射たコメントなんですね。私は本のご紹介をした立場なので、もう少しだけ言葉を足してみたいと思います。

働いて得るお金は尊いのですが、その職業には貴賎がある。たとえば、人を助ける仕事で得るお金と、売春で得るお金のどちらも美しいのか、というような議論があると考えやすいでしょうか。ここでは、どんな仕事でも、働きさえすればお金は美しいという訳ではないという発想があるのです。ただし、どんな職業が尊いのか、という発想が、今の日本で考えるものと、当時の欧米で考えるものでは、基準がだいぶ違っています。

20世紀の前半あたりまでの欧米社会を見れば、人々の倫理観の底には宗教感覚というのが根強かったと考えて差し支えないかと思います。日本でも儒教思想は明治生まれの方たちの中にはしっかり息づいていましたし、恐らく戦前の世代まではそれを直線的に受け継いでいたのではないかと思います。ですから、当時の欧米での大多数の人々の倫理観を規定していたものは、キリスト教だったと言って良いでしょう。キリスト教は大きく分けて、カトリックとプロテスタントに分かれるのですが、歴史的に古く組織がそのまま残っているカトリックから説明します。

カトリック教会というのは今でもそうなんですが、バチカンの教皇を頂点にヒエラルキーががっちりと出来上がっています。神に近い職業としての聖職者がいて(彼らはもちろんその職に就くための努力もしてきている訳ですが)、その下に一般信徒がいるというピラミッド構造で、世界中のカトリック信者が繋がっています。現代社会ではもちろん、我々が常識と考えていることのほとんどを認めているのですが、20世紀前半までは非常に封建的で保守的な組織で、また何より宗教団体ですから、まず神様ありき、な訳です。つまり、この世においても一番大事な仕事は神様に近い、聖職者ということになります。そして、一般信徒の救いは教会での活動を通じてということになります。また、一般の職業の中でも、いわゆる「額に汗して働く仕事」、つまり農業とか漁業などが職業として立派なものであり、今でいうサービス産業などは必要悪に近い職業という位置づけだったのです。(間接的な話になるのですが、ユダヤ系の方たちというのはこのサービス産業とか金融業とか、いわゆる第三次産業を得意とする方たちが多く、キリスト教国の人たちと昔から仲良くなれなかった事情がこういう部分にもあります。)

この職業倫理観というのは、キリスト教社会一般に近代まで信じられていたもので、カトリックに限ったものではありませんでした。但し、プロテスタントは宗教改革でこのカトリックのピラミッド型のヒエラルキーから外れたために、組織なくしても神様と繋がれるよう、個人と神のかかわりを重視しました。プロテスタントにも牧師という形で宗教指導者がいるのですが、それが一番大切な仕事であるという意味合いは薄まってくる訳です。個々人のどんな仕事でも、真摯に果たすことが神との約束を果たす事になる、という倫理観がプロテスタントのクリスチャンの中には芽生えていたとウェーバーは考えていたようです。この発想は、それまで「必要悪」と言われた第三次産業を選ばざるを得なかった人たちには、朗報であり救いになったはずです。堂々とその仕事を果たせるということで、就業人口も増えたに違いありません。この第三次産業の発達と、資本主義を構成する産業化や近代化はほぼ同じ意味だと思って頂いて構わないと思います。つまり、プロテスタントの国々では、それを進める精神的な準備が整ったということです。

プロテスタントの中でも何通りも教派があるのですが、スイスのカルヴァンが指導したカルヴィニズムに属するグループが、最も「個人」と「神」の関係を重視したというのがウェーバーの理論の拠り所です。カルヴィニズムの代表的なグループに、イギリスからその植民地のアメリカに渡った(逃げた)ピューリタンがあります。

つまりウェーバーは、アメリカのピューリタンを祖とするカルヴィニズムのグループ(現在の長老派や会衆派など)、そしてヨーロッパに残ったプロテスタント諸国が、その個人と神の繋がりによる職業倫理によって、産業化や近代化を進め、結果として国の経済活動を後押ししたと言っています。アメリカやオランダ、ドイツなどが好例で、これにイギリスが続く感じを想像してみてください。この逆説にあたるのがヨーロッパのカトリック諸国で、宗教組織のヒエラルキーや、第一次産業を優先する職業倫理観が、どうしても近代化になじめず、とりわけ19世紀後半から20世紀半ばという世界の近代化や産業化にとって最も大事な時期に出遅れる原因となったということになります。

1960年代にカトリック教会は大改革を行って、今では近代化や産業化についてこのような時代錯誤なことは言っていません。(ただ、現代の新しい倫理的な問題として、避妊や堕胎、同性婚についてはまだかなり保守的な見解を公式には発表しているのですが。これはまた現代の別の問題ということになりますが、ウェーバーのこの論文のように、将来、再び何かに取り残される原因になる可能性はもちろん否定できません。)

それでもこの近代化にとって最も重要な時期に出遅れたカトリック諸国の様子というのは、21世紀になった今日見ても、ウェーバーのこの理論からそれほど大きく外れていない状態で、ただただ驚くばかりです。カトリック国というのは、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、ポーランドなどを想像してみて頂くとわかりやすいでしょう。どの国も最初のイメージとして広がるのは、工業都市ではなく田園風景なのではないかと思います。ちなみに私の友人で東京都職員という人がいるのですが、彼曰く、東京都の一年間の予算というのは、イタリア一国の国家予算を上回っているのだそうです。

そして、ウェーバーはこの論文の後、自分の理論が世界の他地域の宗教でも通用するかを試すために、東洋宗教、道教や儒教についても、同じような論文を書いています。

というわけで。
現在欧米で経済的に遅れをとっている国々、進んでいる国々について、欧米の学生はまずこんな本から読まされてしまう、という留学話でした。もしわかりづらかったら、またコメントください。私もだいぶ忘れてしまっているので、また折を見ながら読み直してみたいと思います。

でも何よりも。
b-xxxxballさんには本当に素敵な質問を頂きました。自分の頭を整理しなおす良い機会になりました。そして、私の文章は自分では非常に悪文だと思うのですが、ここまで読んでくださったとしたら、それに何よりも感謝を。本当に本当にありがとう!
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# by lapin_histoire | 2005-03-19 12:22 | 歴史書を跳ぶ